売上アップの「立て」役者、のぼりの意外な歴史を紐解いてみた。

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源氏物語増刷決定

現在、私たちを取り巻く高高度情報化社会におきましては、広告業界や販促ツールの世界であっても日々新しく革新的な技術が取り入れられています。
その変化のスピードたるや、本当に目まぐるしさを感じずにはいられません。

このような時代の中、私は敢えて問いかけてみたいと思います。

Q. 「皆さんは「のぼり」についてどんな印象をお持ちでしょうか?」

A1. 昔からよく見るけど、なんだか古臭くて時代遅れ
A2. ローテクで先進性を感じない気がする
A3. なんかダサい

なんだか…とてもひどい言われようです。自分で書いていて泣きそうになってきました。
でも、確かに街中に立つのぼりを見て「新しい!これは進歩的ですごい!」と感じられることっていうのはあまりないかも知れません。
「スマートホンと連動し、ネットワーク経由でクラウドサーバから個々の集客関連データをごにょごにょ…」
といった機能が搭載された画期的なスーパーのぼりが開発されたという話も聞いたことがありません。

…そうですね。もしかしたらのぼりは「先進性のなさそうな時代遅れでダサい集客ツール」なのかも知れません。
分かりました。ここは一旦、謙虚な姿勢で受け止めましょう。

しかしながら、今日においても未だのぼりは日々生産され続けています。
そして色とりどりの様相、様々な場面で街中に立ち並び、集客のため、或いは啓蒙のためなど、頑張って活躍しています。
「先進性のなさそうな時代遅れでダサい集客ツール」であるにも関わらずです!

なぜでしょうか?

そこには様々な理由が考えられます。
例えば「最先端なデジタル技術を駆使した集客ツールではまだまだコストが高すぎる」ということも理由の一つでしょう。
確かに低コストで設置が可能ということはのぼりの大きなメリットです。
しかしのぼりの持つ魅力はそれだけでは決してありません。
類まれなのぼりの持つ本当の力の正体。それは人々と共に歩んだ長い歴史が雄弁に証明しています。

「のぼりの歴史」と言われてもピンとこないかも知れませんね。
だからこそ、私はこの場を借りて輝かしい「のぼりの歴史」を紐解いて紹介してみたいと思います。
そして現代まで続く輝かしい物語を知ったとき、改めてその魅力を実感していただけると信じています。
そうです!のぼりは決して「先進性のなさそうな時代遅れでダサい」だけの集客ツールではないのです!

驚くなかれ!のぼりの歴史は有史以前!?

「のぼり」とは漢字で表記すると「幟」と書きます。
専用の漢字があてがわれ、日本語入力の変換リストにもきちんと登録がなされている事からも窺い知れますように、のぼりの歴史は古く起源は平安時代にまで遡るとも言われており、さらに「旗」という概念で辿れば邪馬台国・卑弥呼の時代に中国大陸(当時は魏の国)からその原型が伝わったという説も文献によっては記述されているそうです。

昔々~とか悠長なことを言ってる場合ではありません。これはもう古代と称して差し支えのないレベル!
日本史で言うとだいたい稲作が広まってきた時期と重なります。
金印とか前方後円墳とか埴輪などと同じ観点で語られる話です。なんだか凄いコトになってきました。

凄すぎて話が途方もないことになってしまいそうなので、ここは一旦旗の中でも「のぼり」にポイントを絞ってみましょう。
一般的にその歴史は平安時代にスタートしたと言われています。

と、いうことはです。
平安の人々は既に「集客をしなければ!」「集客と言えばのぼりだ!のぼりを立ててお客様を呼び込もう」などと考えていたのでしょうか?
弥生時代に比べたら確かに比較的最近の話であることは確かですが、それにしたって現代から逆残してザックリ1000年以上も前の話です。
京都の平等院や女流文学に代表される「雅」の文化が花開き、貴族たちが和歌や蹴鞠を楽しむ姿を横目に、当時の染師たちは「源氏物語 増刷決定!」とか「春の荘園還元祭り」などといった集客や啓蒙を目的としたのぼりをせっせと刷っていたのでしょうか?

のぼり黎明期。使用目的は現代の集客ツールとある意味逆だった!?

もちろん、そんなことはありません。
思わず妄想が過ぎて取り乱してしまいました。失礼致しました。

当時ののぼりの役割は現在の集客目的とは全く異なり、平安武士たちの自軍・敵軍の識別を目的としたものとして利用されていました。
形状も現在のものとはまるで違っていて、旗の上辺だけを固定した「流れ旗」という風にたなびく、言わば吹流しの親戚のような形状であったと伝わっています。

では、現在のように「上辺と横辺の片側を旗竿に結び付けたもの」という見慣れた形状はいつごろ誕生したのでしょう。
時は平安から下りまして戦国の世。
数多の武将が群雄割拠して天下をうかがう時代に、より旗印の内容が認識しやすいようにと思索されてきた結果、現在とほぼ同じような形状となり、武家の間で広く採用されていったといわれます。
ですので、この時代でもまだのぼりの使用目的は変わらず敵味方の識別用の目印といったところですね。
現在でも使われている通じる乳(ちち)とよばれる括り付けようのパーツや袋加工を使った竿への結び付け方もこの時期に確立されたといわれています。
やがて時は流れ戦国騒乱の時代も終わりを告げ、ようやく天下太平の世が訪れます。
戦もすっかり無くなり、人々も「あれは敵か?味方か?」と気をもむ必要も無くなってしまいました。
戦場で効果を発揮していたのぼり旗もここにきてお役御免となってしまいそうなものですが、時代はまた新しい「目的」と「役割」をのぼりに与えることとなります。

そうです!いよいよ「集客」のためののぼりが登場するのです。

のぼりの夜明け。現代へと受け継がれる販促ツールは太平の世に産声をあげた

商売をする人々にとっての悩みや第一の課題として考えることは今も昔もそう変わるものではないようです。
いかにしてお客様を呼び込むか。どれだけ自分のお店や事業内容を知ってもらうか。
全ては集客とそれに伴う売上の向上へと?げるために。その思いと願いに牽引されながら販促ツールや広告媒体も日進月歩、日々進化をつづけそしてあらゆる可能性が試され続けています。
のぼりもまた、その集客への願いによって新たな利用局面を迎えます。
戦場という極限状態の中にあっても明確な目印としてその役割を果たしてきたアイテムです。それを「事業に活かして大成功!」と考えた江戸時代の商人たちの考えは至極当然の思考だと言えるでしょう。
「のぼりは目立つ!この絶対的なアピール力は無視できない!」
「と言うか、目立たせることこそのぼりのアイデンティティ!イノベーションだ!」
言葉のチョイスに多少の誤差は否めませんが、思考経路は大体このような感じだったのではないかと推測されます(あくまで推測です)。

そしてその目論見は見事にヒット!
のぼりは屋外設置型の広告として道行く人々にお店の存在やお勧めの商品をアピール。
寄席や歌舞伎小屋の周りにも講演内容や役者の名前が書かれた色鮮やかなのぼりが立ち並びました。
かつての戦乱の時代における識別ツールでしかなかったのぼりが、平和な時代となって現在へと繋がる「集客を目的とした販促物」としてそのあり方が確立されたのです。

のぼりの未来と可能性。人々のイマジネーションでのぼりはまだまだ進化する!

のぼりは現在まで続く有効な販促物として、主に集客を目的として広く利用されています。
日本の歴史や文化の中でのぼりは立派にその役割を果たし、人々の期待に応えてきました。
つまり、のぼりの集客効果は古来より脈々と受け継がれてきた長い時の流れに裏打ちされ、証明されてきたと言っても過言ではないのです。

…いかがでしょうか?
この壮大なのぼり物語(サーガ)から導き出される一つの回答として、「先進性のなさそうな時代遅れでダサい集客ツール」という評価は以下のように解釈することも可能なのではないでしょうか!

先進性がなさそう = ある意味一つの到達点。絶対無比の完成形。
時代遅れ = 古くから受け継がれる伝統文化。
なんかダサい = えーと、それは感性ですから…ねぇ…
どうでしょうか!
決してのぼりは「先進性のなさそうな時代遅れでダサい」だけではないと理解していただけたのではないでしょうか!

私たちは考えます。
先人たちから受け継いだものはさらに私たちの手で先に進めなければなりません。
完成形としてののぼりを認めつつも、さらなる最新技術のフィードバックを考慮していけば、集客ツールとしてもさらにこの先洗練されていくことは間違いありません。
そこに「目立つ」「絶対のアピール力」というアイデンティティをさらなる高みへと押し上げた結果、それが「ダサくないよね」という評価に繋がれば、またそこから新しい歴史がつくられていくことでしょう。

日々、のぼりの可能性を探り、集客のための施策を模索している私たちにとってそれは本当に楽しみでしかたありません。

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